飯田美代子さんプロフィール
美容雑誌「百日草」編集部を退職後フリーライター津木耀子のペンネーム日経新聞発行の「ショッピング」朝日新聞の家庭欄などに美容評論家として美容記事を連載、1951年婦人画報社入社、婦人画報ビューティ、別冊結婚事典などの編集に携わる。
退職後、株式会社明美を設立、月刊「AJ」「セサミウエディング」「和婚ウエディング」などを発行。コロナ禍により(株)明美を閉鎖。
現在、94歳のインフルエンサーとして活躍中。2024年10月現在のチャンネル登録者数総計50万人超。
2023年年3月「一般社団法人 和婚アカデミー」を設立、理事長就任「モテるオトナ塾」を開催中。著書「ウエディングのすすべてQ&A」「和婚」「和婚事典」など多数。
第1回 日本では結婚式のカタチが様々です
現在行われている結婚式のスタイルは、神道による神前結婚式、キリスト教のチャペル結婚式、仏教による仏前式、宗教に捉われない祝言などがあります。
これらの結婚式の中で江戸時代の庶民の間で行われていたのが祝言で、人前式のルーツと言えます。
昔から行われていたと思っている神前結婚式が行われ始めたのは意外に新しく、明治33年に皇太子の嘉人親王が宮中の賢所で婚礼の儀を行ったのを記念して、神社結婚式を行おうという機運が高まり、東京の日比谷公園の中に鎮座してあった日比谷大神宮の奉斎会が式次第を制作し全国の奉斎会に呼びかけたのという記述があります。
しかし、庶民の関心は低調だったので、公園の前にある帝国ホテルで披露宴を行う模擬挙式を披露したという記述があり、やっと神社挙式が認められたのです。
ところが、大正12年に関東大震災で日比谷大神宮が消失してしまいました。
そこで帝国ホテルは神前挙式が行えるご神殿を館内に設け挙式、披露宴と一体化した結婚式を行ったのが盛況を極めたのです。
帝国ホテルが館内に神殿を設けたことがきっかけで、全国のホテル、式場が館内に神殿を設け、挙式、披露宴が館内で行えることが魅力になり、神前結婚式が当たり前になりました。
焼失した日比谷大神宮は「飯田橋大神宮」として再建され、昭和3年に「東京大神宮」に改められ、神社結婚式で盛況を極めています。
ところが、1980年代になるころから、TVで放映されたダイアナ妃のトレーンを長く引いたウエディングドレス姿、有名タレントのドレス姿の花嫁に魅了されてチャペル結婚式が急増。しかしホテル式場には教会はないので、祈りの場である街の教会で挙式をと考えたカップルが直接結婚式を依頼しても、挙式の許可してもらえず、日曜礼拝に何回か出席して、やっと教会式が挙げられたのです。
そんなカップルを対象に、ホテル、式場では結婚式専門のチャペルを造って、カップルの期待に添う設備を整えたので、キリスト教信者でなくてもチャペルで結婚式が挙げられるようになり、人気だった神前結婚式が衰退し始めたのです。
教会の結婚式が人気になった演出のひとつに、100人近くの列席者が参加できる教会の造りや、披露宴会場が人気になったのも一因とも言えます。
神前結婚式では、両家の親族だけが出席するので、人数が限られ友人は参加できないのも神前結婚式が衰退した原因のひとつかもしれません。
そこで、参列者が80人以上参列できる御神前に改装したりしてきました。
ところが、隆盛だったブライダル業界もコロナ禍で低迷が続き、招待客を絞った結婚式を選ぶカップルが増え、出席者は身内ブラス友人の20人ほどに激減したのです。
2020年頃になるってやっとコロナ禍も落ちつき、徐々に結婚式を行うカップルが増えてきましたが、二人の結婚を祝福してくれる列席者だけに絞られ、少人数婚式が増えてきたのですが、衣装などの費用が嵩む和の結婚式は伸び悩んでいのが現実でした。
ところが2021年の東京オリンピックの「おもてなし、やさしさ」が注目され、日本の文化が世界で認められたことで和の結婚式への関心も深まりました。
ところが、厳かな挙式を希望するカップルが増えたのに、「和婚」に精通したスタッフが少ないのが現状です。
「和婚」の基礎を学び令和の時代に相応しい「和の結婚式」を提案出来るプランナーになってほしいと思います。