第1回 BIAの30年を振り返る。
婚礼事業は、教養も職業も年齢も生い立ちも、キャリアも異なる「お客様」が「新しい家庭を築き・最小社会を形成する」人生の通過儀礼の中で個人が行う最大の記念行事として、高額を投じて「これ迄お世話になった家族や友人・知人、これからの人生に於いてお世話になる方々」に対して御礼と感謝とお願いの意を込めてお披露目を行う結婚式・披露宴。そこにご列席いただく大切なお客様に企業を代表して「ご満足」頂く婚礼儀式及び披露宴を企画・提供するには、お客様の信頼を築く「人格」「人間性」に加え、婚姻に係る広範な「知識と経験」が不可欠である。
婚礼に纏わる地域の伝統・慣習等のしきたり、結婚するご両家のこと、ご本人の学歴、お仕事や生活環境等を把握し、マナー・作法・礼法・儀礼をはじめ、地域で異なる生活文化、結納・結納品、婚礼に直接関わる衣裳・美容・花・写真・引き出物、等々の知識をフルに活かしての儀式企画、披露宴・パーティーの企画、演出企画を行うだけではなく、家庭・出産・子育て・教育・家計等、お客様からの話題に応え、信頼を築く教養を身につける必要がある。
という責任ある立場にある「接客現場のプロフェッショナル人材」を育成するために1990年に始まった「ブライダルコーディネーター養成講座」、そこに最初から携わり今日に至ることとなった歴史を振り返り、数回に亘りお話をして行こうと思います。
最初に、私の自己紹介から入ります。
1939年熊本の旧家に生を得て、遠縁の哲学者「徳富蘇峰」から「兼義」という名を頂きました。
家族は毎月1日と15日は早朝にお宮参りと墓参りをし、盆や正月は古くから守られてきた「しきたり」を守り、目上の方には礼を尽くす。
「男は度胸」「武士に二言無し」「嘘は泥棒の始まり」と云うのが「親の口癖」でした。
また、どんな方と接しても恥ずかしくない常識を身につけるといった「たしなみ」には厳格な両親の許で育ち、男は濟々黌でなければならないという家訓「正倫理・明大義・重廉恥・振元気・磨知識・進分明」に沿って高校に進学し、遠縁のブラジルの日本人会の会長から跡継ぎに欲しいという話を了承し、ブラジルの大農場主になるために1958年、唯一ポルトガル語の授業がある東京農業大学農業拓殖学科に進学しました。
ところが、学科長からアメリカに留学しないかとの話が有り、即答でOK、
1962年カリフォルニアの果樹園芸試験場兼栽培農場に留学、育苗から、栽培、機械管理、加工工場管理等最高の技術を学びました。
’65年に帰国すると、大学から「政府の青年海外協力隊」が始まったので試験を受けろとの指示があり、’66年タンザニア連合共和国に派遣されました。
独立から5年目で国造りに励むTanzaniaでは、果樹蔬菜園芸技官として農林水産自然動物保護省で、園芸開発計画、育苗、技術普及、農業専門学校教師、村づくり等を同時並行で仕事に当たりました。
官僚は英語が出来るが、一般の人はスワヒリ語です。4か月で不自由なくなりました。
2年間の任期を満了して帰国すると、協力隊局長から、OTCA(現JICA)の専門家試験を受けろという命令。
就職が決まっていた「住友化学」を断り、結婚して、日本国派遣専門家という立場で、外国人は私だけの国家開発委員会委員及び高等技官として再びタンザニア農業省にとして赴任、帰国までの10年間に二人の子供に恵まれました。
日本政府にキリマンジャロ州総合開発計画の開発援助を要請し、エキスパート兼二国間コーディネーターとして任務を全うし、1976年に帰国。
その間の話をすれば限りなく続くので割愛しますが、マラリア3回、チフス1回、その他のローカルフィーバーや自然動物との遭遇等、命に関わる数多く体験もし、言語の異なるたくさんの部族の皆さんと寝食を共にし、交流が出来ました。少し自慢をさせて頂ければ、英語は当たり前の世界で、外務省・JICAが行ったスワヒリ語検定1級の第1号に合格したことと、国際協力功労賞を頂き、平成天皇陛下・皇后陛下には7回の拝謁と、茶話会にご招待を賜ったことです。
帰国後直ぐに建築設計会社の専務取締役に招聘され事業拡大に貢献、仕事以外の時間は「日本人に戻るために」夜学の「京都市青年政治大学」には4年間通いました。
その他の時間は、全国の協力隊OB会の組織化、協力隊募集説明会主催、帰国専門家連絡会議の議長、アメリカンピースコープスの総会等に日本代表で4回出席し、共同プロジェクトの提案をしたこと、日本青年中国視察団コーディネーターを体験したこと、京都の青年団を集めて組織した「京都青少年活動推進会議」では、祇園祭山鉾曳ボランティアの組織化、京都市成人式の総括マネジメント、車椅子駅伝競走の誘致とマネジメントなどのボランティア活動に費やしていました。
また、国連世界青年年では実行委員長に指名され、1年間それに没頭、大成功を収めました。
京都府国際センター設立委員、地方公務員上級職の訓練所「全国市町村国際文化研修所講師」、京都大学大学院や関西の他大学での講師、ロータリークラブ等数々の講演、村づくり委員等々をこなしながら、国からは、国際緊急援助隊リーダー要請、国際選挙監視委員に指名されるなど、当時の平均睡眠時間は4~5時間、振り返れば何とタフな青春であったことかと思って居ます。
これは全て妻をはじめ家族の理解があっての事でした。
1988年、この様な活動の一部を共にやって来た、茶道裏千家現家元の弟君「伊住政和」様からお話を頂き、裏千家・文化開発商社(株)ミリエームに取締役事業総括としてお招き頂いたことから、日本の文化を肌で感じることに目覚めました。
‘89年(平成元年)三井物産の異業種交流会に裏千家代表で出席し、結婚式場相談センター(株)コンパルの社長「故 大西敏之」様とご同席となり、本文冒頭のお話しを伺い、その情熱にほだされ、伊住社長と共にブライダル業界の人材育成の重要性のお話しに感銘を受け、共に「ブライダルコーディネーター養成講座」の開設に携わることになりました。
それ以降今日迄BIAの会長はじめ理事さん達に後ろ指をささせないために、大げさですが自分では命を懸けて来たつもりです。
次号ではJBO設立、BIA設立に至るお話をしようと思って居ます。ご笑読下さい。
第2回 草創期
1989年(平成元年)当時は、ブライダル営業現場の「人間力」向上のための人材育成に係る教育システムも実施機関も無く、オーソリティーも居ない。それを行うには、「しかるべき課題の具体化とそれに応える講師陣」の選任が必要である。と云うお話しを淡々と伺った。
私は、大西社長のお気持ちとその真剣な眼差しに、それまで全く知らなかった「婚礼業界・特に人材育成の大切さの話」に深く感動させられ、翌朝出社すると直ぐに「大西社長の想いを」上司である文化開発商社(株)ミリエーム代表取締役社長(故)伊住政和 様(現茶道裏千家第16代坐忘斎宗室家元の実弟君)に、裏千家の人脈を活かして何とか協力出来ないかと「相談」をした。
伊住様もそのことに心を動かされ、我が社は文化開発商社である。「我々に出来ることはお手伝いしよう」「この件に関する一切の権限を君に任せる」。という指示を頂いた。
以後、大西社長には度々京都にお運び頂き、私も都度大阪に足を運んで打合せを行い、大西社長の想い「人材育成講座」を具現化する体制を整えて行った。
頻繁に打ち合わせ等を行う課程において、自ずから「婚礼接客に直接関わる技術技能関係」はコンパルの経験と人脈、「文化・教養関係」は裏千家の人脈を結集すれば出来ないことは何も無い、任意の人材育成機関名を「日本ブライダル機構」(JBO=Japan Bridal Organization)と命名して、大西敏之氏を理事長としてプロジェクトチームを立ち上げ、(株)コンパル大阪本社内に事務局を置くこととなった。
大西社長には、「シラバス」をご提示頂き、総論から各論へと配置して「カリキュラム」を作成、各講座には「どの様な方が適任」と云うことを審議し、講師に選ばれたその道の一流の方々お一人お一人をお訪ねして趣旨を説明し、「このような目的で、このような人を対象に、このような内容のご指導をお願い出来ないか」お伺いをして回った。
約1年をかけて何とかカリキュラムが整い、講座の名称を「JBOブライダルコーディネーター養成講座」とした。
会長には、裏千家第15代家元(現鵬雲斎大宗匠)の姉君で、日本で最初に「冠婚葬祭辞典」を表された(故)「塩月弥栄子」先生(裏千家今日庵的傳名誉教授)のお名前を戴き、平成2年、大阪に於ける第1回「ブライダルコーディネーター養成講座」の開講に漕ぎつけた。
日程は5月末から8月末に至る計7日間の講座と修了式等合わせて8日間であった。
日本で最初のブライダル担当のプロを育成する講座として多くのマスコミにも取り上げられ、修了試験合格者には塩月弥栄子先生から「ブライダルコーディネーター」の称号を与えることとなった。
会場は、KKRホテルオーサカ、大阪第一ホテル、ロイヤルホテル、東洋ホテル、大阪ターミナルホテル、新阪急ホテル、ホテルニューオータニ大阪、修了式は太閤園。
修了式では、修了者の一人一人に塩月先生から楽しいコメントをつけて「修了証書」が手渡された。式の後には、塩月先生と伊住宗匠による立礼式茶会(門弟数十名にお手伝い頂き)による日本のおもてなしの原点に触れ、フォーマルなパーティーに親しみの薄い営業現場の人に、太閤園のベストを尽くしたパーティーを体験して頂いた。
平成2年と3年は、大阪での開催であったが、評判は全国に広がり、東京でも是非とも開講してほしいとの声が上がった。
JBO では、それらの要請に応えて平成4年(第3回)からは「関西と関東」に於いて講座を開催することとなり、以後、受講者からのアンケートや企業からのリクエスト等を加味して、年々改善を重ね、本講座が国家検定となった平成29年度まで毎年夏に継続開催した。28年間に5000名のブライダルコーディネーターを輩出、後のBIAの事業の基盤となった。(JBOからBIAに至る経緯は後述)
第3回 黎明期
平成5年(1993)過去3年、計4回の「ブライダルコーディネーター養成講座」の参加者を対象とするアンケート調査結果を取り入れカリキュラムと会場設定等に改善を図った。
同時に業界の人材育成以外の課題が明らかになって来た。そこでJBOを公益法人化してはどうかと提案したところ、大西社長は、全国の有力な経営者にそれをご相談され、殆どの大手の経営者からも共感を得ている。ついては「公益法人化」に向けての組織化と手続き等に係る責任者として野田を派遣して頂けないかとの要請書が出されたと伊住社長から伺った。
しかし、私はブライダル事業の経験もなく、JBOでは与えられた範囲内のお手伝いをしてきたにすぎないが、本講座の間、著名な先生方の講義を聞き、受講者と何日間も一緒に居たことで、営業現場の方々の顧客との対応での苦労話や、人間関係、上司との関係、クレームやトラブル等、お話等を伺ってきたので、理論的には婚礼営業の事情にも精通し、関心は深くなっていた。そのことから、本リクエストを了承する結果となった。
以降「文化開発商社ミリエームの全事業の責任者としての本業」と「ブライダル関係協会設立」のための情報収集の二足の草鞋で忙しく動き回ることになってしまった。
東京ではホテルを転々としつつ、結婚式場・ホテル等の経営者、管理職、営業現場のスタッフ等の生の声を聴き、婚礼ビジネスに求められる事項の情報収集に当たった。
深入りすればするほど、ミリエームの事業総括としての本業と、婚礼業界組織づくりとの両立は時間的、物理的に困難であった。
婚礼業界は週末や休日が主な仕事日で、幹部の方々とお会いできた。結局休みを取ることも出来ず平均睡眠時間4時間の情報収集作業が続いた。
事務局は私一人である。業界団体を一人でゼロ構築するということは、まさに体力・気力・忍耐力の試練であった。
私は1500万円を都合して滞在費・生活費・交通費・情報収集活動費等に充てた。
ブライタルコーディネーター養成講座は三社がボランタリーに関西と関東で開催していたので収益はコンパルさんにお預かり頂いていたが、これには一切手を付けず私の活動費等は自弁であった。
任意の組織化は順調に進み、1993年(H5)12月3日ホテルオークラに於いて最初の設立準備会議を開き、12月7日にはホテルオークラ東京(「銀河」の間)に於いて設立発起人会を開催するに至った。
<第1回 日本ブライダル産業振興協会設立発起人会> 1993年(H5)12月7日
【設立発起人】
大西 敏行 (株)結婚式場センター(コンパル)代表取締役社長
塩月弥栄子 裏千家茶道家「茶道裏千家今日庵的傳名誉教授」
伊住 政和 茶道裏千家副本部長(文化開発商社(株)ミリエーム代表取締役社長)
桂 由美 (株)桂由美ブライダルハウス代表取締役社長
小松 健男 (株)ロイヤルホテル取締役相談役(㈳日本ホテル協会大阪支部長)
徳光 憲 (社)国際観光日本レストラン協会会長((合)花外楼代表社員)
外山 勝志 明治神宮権宮司 明治記念館館長
橋本 保雄 (株)ホテルオークラ専務取締役 (BMC創設者、㈳HRS副会長)
堀江 庸雄 (株)白雲閣代表取締役社長 (全国結婚式場協会専務理事)
松田 仁宏 (株)名古屋都ホテル取締役副総支配人(全国BMC会長)
山野 博敏 (株)ビューティトップヤマノ代表取締役社長 ㈶国際美容協会副会長
野田 兼義 (株)ミリエーム取締役事業総括(JICA帰国専門家連絡会議議長、全国市町村国際研修センター講師、京都大学大学院非常勤講師、京都府国際センター設立委員会委員、JOCV青年海外協力隊関西2府4県OB会長会会長)
【議事】
1.開会
2.今日迄の経過について:野田報告
3.設立発起人紹介:
4.議長・議事録署名人選出:当日の議長には大西敏行氏が選出された
5.議案審議
第一号議案 会の名称について:「日本ブライダル産業振興協会」(BIA)
第二号議案 設立趣意書について:内容の検討審議
第三号議案 会長の選任について:塩月 弥栄子氏に決定
6.会費の額及び会員の勧誘について:適正条件の検討審議
7.事務局及び事務局体制について:全権を野田兼義氏に委託することに決定
8.その他:
9.設立発起人代表挨拶:大西敏行氏が挨拶
10.来賓挨拶:通商産業省商務情報政策局サービス産業課 課長補佐 石川昌夫様
11.閉会:野田兼義
もう引き返すことは出来ない。愈々BIA設立に向けての本格的作業が始まった。(以下次号)
第4回 黎明期(後編)
平成6年(1994)ミリエームの事業は、軌道に乗り自社ビルも完成し、後輩も育った。
しかし、本業と業界団体作りとは、掛け持ちで出来る様な容易なことではなかった。
私は、伊住社長と相談して「ミリエームを退職して団体作りに専念」するとして退職願を提出した。
伊住社長は、「応援を惜しまない」「君一人の腕にかかっている。うまくいかなかくなったらいつでも京都に帰ってこい」として私を送り出して頂いた。
東中野に「マンスリーマンション」を借り、7月には、ミサワホームの三沢千代治社長のご厚意により「原宿」に任意団体「日本ブライダル産業振興協会事務局」(BIA)を開設、公益法人設立に向けての準備作業に邁進した。
連日、会場等のトップの方々を訪ね歩き、趣旨・目的を説明、情報の収集等に徹し、2月には明治記念館において第2回の発起人会を開催するに至った。
議題は、
1 設立発起人の追加について
2 設立趣意書について
3 定款について
4 事務所について
5 入会金及び会費規則について
6 役員候補案について
7 平成6年度事業計画案について
8 平成6年度予算案について
などであった。
発起人会では、日本で最初に「冠婚葬祭辞典」を出版した裏千家第15代家元・現・大宗匠の姉君であった裏千家今日庵的傳名誉教授「(故)塩月弥栄子」師が会長に選任された。
ところが、事務所を開設して間もなく「国所管の公益法人をこれ以上増やすな」という「閣議決定」がされたとの情報が入った。(当時このような全国組織の業界団体を設立すると、省庁から専務理事が天下りするのが通例であったため、議会が歯止めをかけようとしたのだと思う)。
しかし、発起人の皆さんに期待され、任せられた以上、義理を欠くことは出来ない。
設立の準備の傍ら、全国で発生する地震や、台風、水害等についての被害調査や、国から業界への協力依頼や指示事項等への全面協力等で通産省にはほぼ日参、サービス産業課では、野田さんの席を作らなければと、冗談が出るほどになっていた。
商務情報政策局サービス産業課の乾課長と着任されてきた西村筆頭課長補佐の英断によって、「難しいが課内で応援して見よう」という事になり、石川昌夫課長補佐を専属の指導役に付けて頂くことになった。
連日17時からの役所打合せの後の必要な資料作成・修正等で、徹夜は当たり前になった。
並行して、中小企業団体中央会の「活路開拓ビジョン調査研究事業」の企画公募に応募し、審査に合格。「ブライダル産業実態調査」を実施し、報告書にまとめ、平成7年(1995)春には、東京と大阪で調査結果の発表会を実施した。
もう一つの課題は、当時東京では最大手の結婚式場紹介業の「東京プロデュース」鈴木社長と、同じく紹介業大手の「ジョイジョイブライダル」の瀧社長らは、私をコンパルの社員と誤解され、「取引先に対して、BIAに加盟したら送客しない」と言って居られるということを知った。
私は両者を訪問して、目的を語り、ボランティアで業界団体の設立に奔走している真実を説明して歩いた結果、お二人にご理解頂き、設立後には多大なるご尽力を頂き、理事にもご就任頂いた。
石川課長補佐は、この様な団体を作ったら「自分が専務理事」として就任するのが習わしであるが、この会は「民間人だけでやって欲しい、君なら出来る」と真剣にご指導頂き、私の待遇等も細かく作成され、塩月会長、大西副会長、岩崎副会長(総務委員長)等の幹部に自らご説明頂き、理事会ででもお話し頂いていた。最終提出資料は164頁に至った。
事務局の運営は経営と同じである。会長はじめ理事の皆さんに迷惑をかけないことが最優先である。
設立以来自己都合で仕事を休んだことば1日も無く、24時間、仕事以外のことは眼中に無かった。その間、家族サービスも出来ず4人の親の死に目にも兄貴の死に目にも会えず(偶然であるが、妻の父親の時には設立書類の最終提出日と重なっていた。早くから決められていた会議や、役所での会議、各書類の提出時期等と重なり、結局死に目には会えなかったし、葬儀にも出ることが出来なかったことは一生の悔やみである)気力・体力・忍耐力の限界への挑戦の連続であった。
【石川昌夫課長補佐と私】
私自身は、JICA専門家の資格も有り、スワヒリ語のJICA1級試験合格第1号である。
国際選挙監視員や国際緊急援助隊(医療チーム)のコーディネーターの資格も有しており、将来はJICA専門家に戻って国際協力に貢献したいと思って居た。
それ故、5年以内に石川様にバトンタッチ出来るようにBIAを安定経営にするのが自分の責任だと考えていた。毎晩のように石川様と飲みながら夢を語り合ったものである。
いつしか、お互い親友の様に何でも話せる仲になっていた。
私が専従して1年4か月、平成7年11月1日、橋本龍太郎通商産業大臣から設立許可を頂いた。しかし、翌平成8年(1996)石川様に舌癌が発症し、お亡くなりになった。
私はサービス産業課長からお誘い頂き、民間人ではただ一人役所の方々に交じって通夜から葬儀のお世話をさせて頂いた。
第4回 通産省直轄最後の公益法人設立に至る交渉(上)
前回まで、駆け足でBIA設立に至る黎明期の経緯を紹介してきましたが、通商産業省から見れば、ブライダル市場規模そのものが他産業と比して微々たるものであり、「国直轄の公益法人を設立する必要性があるか」と云うことが、最初の関門であった。前回までのストーリーの裏側で行った国との交渉の履歴を紹介します。
1993年(H5)
1月18日 野田兼義を裏千家・ミリエーム代表としてブライダル産業団体設立に向けての諸作業について全権を委ねる件を決定。
4月22日 15:30 裏千家の紹介により、逢沢一郎 衆議院議員通産政務次官と秘書の手塚氏をお尋ねして、ブライダル業界団体設立の必要性と公益法人化について相談。
ブライダルの所管の通商産業省商務情報政策局サービス産業課」をご紹介頂き、通産省大臣官房 村田成二 総務課長、河本博隆 商務政策課長、平根知文サービス産業課長補佐にご挨拶に伺い公益法人設立への理解を求めた。
そこで、私がJICA専門家でTANZANIAに滞在中に、1等書記官として日本大使館に赴任され親しくさせて頂いていた稲川泰弘氏が、石炭部長をされていることを知り、ご挨拶させて頂いた。稲川氏はその直後、大臣官房審議官になられた。
4月26~27日 逢沢一郎通産政務次官、通産省大臣官房 村田成二 総務課長、稲川泰弘石炭部長、河本博隆商務政策課長、平根知文サービス産業課長補佐にお礼状を兼ねて、構想をお送りした。
5月10日 外務省飯倉公館にて丸昭課長補佐・外務省アジア局地域政策課勝部俊宏氏に面会、設立に係る相談に乗って頂いた。
8月6日 11:30 通商産業省顧問 ㈶産業研究所顧問 前通産事務次官棚橋侑二様に面会相談。その後、着任されたサービス産業課「西村筆頭課長補佐」に挨拶。
8月12日 14:00 サービス産業課 西村筆頭課長補佐に現況を説明し法人化についてご相談。
9月21日 14:00~14:30 サービス産業課 服部和良課長・西村康稔筆頭補佐によるヒヤリング。
10月15日 16:30 通産省に説明「これまでの事業実績報告と法人化への業界の要請」
11月15日 17:00~18:00霞が関ビル 棚橋 前事務次官に当日の会議内容をご報告
10月18日 AM日本ホテル協会 杉野重雄様(札幌ロイヤルホテル)・高橋克彦専務理事にブライダル業界団体の設立の必要性に関する相談
15:00~通産省 西村康稔様に掘り下げての検討の指導を頂き新たな情報収集
12月3日 10:00~11:30 通産省 稲川審議官に進捗の経過報告
12月7日 11:00~設立発起人会メンバー(伊住政和、大西敏之、桂由美、小松健男代理、淡路雄治、塩月弥栄子、徳光憲代理井上小一郎、外山勝志代理、橋本保雄、堀江庸雄、松田仁宏、山岡弘幸、山野博敏、野田兼義)となる。
12月28日 通産省 暮れの挨拶
1994年(H6)
1月10日 通商産業省サービス産業課 新年挨拶と取り組みについての打合せ。
1月28日 任意団体(公益法人設立準備会)「日本ブライダル産業振興協会」企画書提出。
2月16日 13:30 通産省 法人のトップ人事案について、桂由美氏同行、新設法人では会長・理事長の2頭制は不可との指導を頂いた。(桂氏の意見は却下)
3月8日 16:00 塩月先生とサービス産業課訪問、役員制度について石川様のご意見を伺う。
3月9日 13:00~14:00 通産省、野田が呼ばれて、会長は塩月弥栄子、副会長に桂由美が良いのではとのアドバイスを頂いた。
3月11日 10:00~11:00「日本ブライダル産業振興協会」会議、役員人事案等の検討
3月17日 11:00 通産省 西村様のヒヤリングについて、事前打ち合わせ
3月24日 14:00 通産省 平根氏、神野氏 と必要情報の整理等についてご相談。
3月30日 10:00 第3回「設立発起人会開催」通産省 石川課長補佐来賓出席。
17:30 通産省 第3回発起人会のご報告、石川様ご出席の御礼と課長への報告。
4月7日 16:30 通産省サービス産業課挨拶、平根氏課長補佐から石川昌夫氏へ担当引継ぎ。
事務官神野氏から中田貴之氏ご紹介頂く。
4月8日 サービス産業課 石川課長補佐に経過報告
4月13日 通産省連絡 14日のアポイント
4月14日 10:00 石川昌夫 課長補佐 ご相談・書類作成作業等についてご指導頂く
13:00~15:00 石川課長補佐相談 ・事務作業についてご指導頂く
5月13日 09:30~10:30 通産省打合せ (次回は16日13:00~15:00)
5月16日 13:00 通産省(塩月先生・大西理事長同行)経過報告と今後の作業ご相談
5月17日 石川課長補佐から連絡 法人化に向けての指導で2時間くらい欲しいとのこと。
5月18日 通産省 打合せ日程調整 大西社長連絡 ➝ 23日13:30~決定 連絡
5月23日 13:30~15:00 石川課長補佐、提出書類に関するご指導を頂く
5月24日 16:00 石川課長補佐から手続き書類チェックの件についてご連絡
6月4日 11:00 ホテルニューオータニ打合せ「発起人会・任意団体設立総会について」
(7月7日 設立総会・発起人会・総会・記者会見・パーティーの件)
第6回 日本初ブライダル産業実態調査
1994年、通産省は、ブライダル産業団体設立に対する理解は深めて頂いていた。一方、業界側のまとまりが無いのが実情であった。そこで「ブライダル産業の実態に関する業界主体の本格的調査」を自主的に実施しようと、企画書を作成、石川課長補佐に相談したところ、全国中小企業団体中央会をご紹介頂き「活路開拓ビジョン調査研究事業」枠の補助事業コンペに参加出来ることになった。
本研究の目的として、ブライダル産業は、その実態に関して明確になっていない部分が多い。また、バブル経済の崩壊、平成不況の中で消費者の低価格志向をはじめ、消費者の本物志向・個性化などライフスタイルの変化により消費動向も大きく変化しつつある。この様な市場環境の変化の中にあって、将来に向けてどのような方向に進むべきか、その活路開拓のビジョンの提示が求められている。そこで本調査は、ブライダル産業の実態を把握すると共に、ユーザーである消費者のニーズを分析・検討し、実現性の高いビジョンの作成を目的とする。として、市場環境調査、経営実態調査、ユーザー動向調査、成功事例調査、文献・統計データ分析、アンケート調査、聞き取り調査、委員会の設置、調査研究体制案等に係る企画書を作成し、全国中小企業団体中央会の補助事業にチャレンジした。
企画書提出の前提として、協会の概要、事業計画書、経費明細書、定款、直近の事業報告書及び決算関係書類、当年度の事業計画及び収支予算書、会員名簿を添える。
事業計画書には、事業のテーマ、業界の現状、テーマを選定した理由、実現性と期待される効果等、事業の内容、ビジョン作成事業成果普及講習会等開催事業、事業実施計画(事業実施スケジュール、委員会の設置、開催計画、委員名簿)、経費明細(委員手当、印刷費、通信運搬費、委託費、会議費、講師謝金、講師旅費、職員旅費、会場借料)等数十頁に及ぶ具体的資料の添付が要求される。当時は未だワープロの時代であってパソコンは無かった。
且つ又、未だ正式な団体でもない任意の団体にあって、事務局は私とアルバイト女性の2人であった。
1994年3月9日に「開拓ビジョン調査事業企画書」を提出、6月13日に企画合格、6月20日に調査研究費補助申請の手続きを完了。委員会を編成し作業を進め、11月25日に中間報告書を提出、審査を受け、12月22日には監査に合格して事業完了。1995年1月に155頁に及ぶ報告書を作成し、東京と大阪で発表研修会を実施し好評を得た。
報告書の内容は:
序章
1.調査目的
2.調査内容
3.調査方法
4.調査研究体制
第1章 ブライダル産業を取り巻く市場環境の動向
1. 婚姻数の動向
2. ブライダル産業の市場規模
(1) ブライダル費用の支出動向
(2) ブライダル費用の構成
(3) ブライダル産業の市場規模
3. 結婚観の変化
第2章 ブライダルに対するユーザーニーズの動向
1. アンケート調査概要
(1) 回答者の概要
(2) 調査結果の分析方法
2. 結婚式に対する価値観
3. 挙式披露宴に対する指向
(1) 重要度の高い披露宴招待客
(2) 挙式スタイル
(3) 挙式・披露宴の日取り
(4) 挙式・披露宴会場
(5) 挙式・披露宴の費用の中で重要度の高い項目
(6) 挙式・披露宴の衣裳の揃え方
(7) 披露宴における料理
(8) 披露宴の演出で重要視する意見
(9) 引き出物
4. 挙式・披露宴に対するユーザー評価
(1) 対応サービス
(2) 挙式・披露宴会場の内容に対する評価
(3) パック商品の利用意向
5. 挙式・披露宴の費用及び費用配分
(1) 披露宴の列席人数
(2) 披露宴の費用
(3) 披露宴の費用配分
6. ブライダル関連行事に対する指向
7. 今後希望する挙式・披露宴スタイル・サービス
第3章 ブライダル産業における経営実態
1. アンケート調査の概要
(1) 回答企業の概要
(2) アンケート調査結果の分析方法
2. 挙式・披露宴事業の実態
(1) 挙式・披露宴の利用実績
(2) 挙式・披露宴の実績動向
(3) 挙式・披露宴の実績変化の理由
(4) 競争状況
(5) 挙式・披露宴の利用時期
(6) ウィークデー・オフシーズン対策の実態
(7) 約款の保有状況
(8) 衣裳及び引き出物の持込料(保管料)
3. ブライダル関連宴会及びその他一般宴会等の実績
(1) ブライダル関連宴会及びその他一般宴会等の昨年度の利用実績
(2) ブライダル関連宴会の実績
(3) 一般宴会等の実績
(4) ブライダル関連宴会及びその他一般宴会等の実績動向
(5) ブライダル関連宴会及びその他一般宴会等の実績変化の理由
4. 経営資源の実態
(1) 人材
(2) 施設・設備
(3) 挙式・披露宴関連施設の設置状況及びその運営方法
(4) 営業・受注方法
(5) 婚礼業務等の窓口業務の充実度
(6) 利用者に対するフォローアップ(顧客管理方法)の実態
(7) 情報収集方法
(8) 宣伝広告方法
(9) 演出
(10) 挙式・披露宴に関連した研究開発の実施状況
(11) 経営資源に対する問題点
5.ブライダル産業の将来予測とその対応
(1)今後のブライダル市場の変化に伴う企業対応
(2)挙式・披露宴に対する消費者ニーズの変化
(3)企業戦略の方向性
第4章 活路開拓ビジョン
1. ブライダルマーケットと活路開拓ビジョン
2. 挙式披露宴の見直しと提案型の商品開発
3. 利用者の希望を叶える人材の育成
4. アフターマーケット等による集客力の向上
5. 財務管理の充実
6. ブライダル事業者の信頼性の増進と共通約款
7. ブライダル産業振興協会における共同事業
委員会:
委員長:金谷 貞夫(福井県立大学経済学部教授)
委 員:有岡 達夫(サンプラザ販売促進課長)
大野 和徳((株)サイエス代表取締役)
角田 清範(明治記念館営業本部長)
佐藤 陸雄((株)リーコ代表取締役)
蓮井 玄昭((株)コンパル専務取締役)
堀内 伸二((株)東急ホテルチェーン営業管理課課長)
松山 倫子(三和銀行広報部ホームコンサルタント)
シンクタンク:
財団法人日本総合研究所 理事 東京事務所長
総合調整:事務局長 野田兼義
第7回 平成6年度任意団体「日本ブライダル産業振興協会」が実施した「ブライダル産業実態調査」の概要1
前回記載のBIAが「平成6年度(1994年度)活路開拓ビジョン策定事業」として実施した「ブライダル産業実態調査」結果からその一部を抽出し、本号では、「ブライダルに対するユーザーニーズの動向」について振り返ってみたい。
【平成5年(1993)の数字】
婚姻件数 昭和22年93万4170組、昭和47年110万組、平成5年79万2648組➔人口1000人当たり6.4。
【ブライダル市場規模】:
ブライダル費用(三和総研):833万5000円➝セレモニー43.3%=361万2000円、ニューライフ35.7%=297万3000円、ハネムーン11.6%=97万1000円
市場規模:1組平均833万5000円とした場合婚姻数79万2648組のうちおよそ85%が挙式・披露宴を実施するとしたら総額5兆6157億円、セレモニーブライダル;1組当たり平均361万2000円とすると、平成5年の市場規模は2兆366億円
【結婚観(人口問題研究所)】:
独身男性いずれ結婚するつもり1982年=95.9%、1987年=91.8%、1992年=90.0%
独身女性いずれ結婚するつもり1982年=94.2%、1987年=92.9%、1992年=90.2%
独身男性一生結婚するつもりはない 1982年=2.3%、1987年=4.5%、1992年=4.9%
独身女性一生結婚するつもりはない 1982年=4.1%、1987年=4.6%、1992年=5.2%
独身男性 不詳 1982年=1.8%、1987年=2.7%、 1992年=5.1%
独身女性 不詳 1982年=1.7%、1987年=2.5%、 1992年=4.6%
【結婚式に関する価値観】:
「本人同士の証として実施する」という価値観が中心。
次いで「社会的認知を得るため」、「家同士の結びつきとして実施」、となっており、「宗教
上の儀式として実施」とする回答は見られなかった。
【挙式・披露宴に対する指向】:
重要度の高い披露宴招待客:「学生時代などの友人・知人」「親戚」が中心である。
【挙式スタイル】:
神前式47.7%、教会式43%、人前式7.5%、仏式0.9%、その他0.9%
【挙式・披露宴の日取り】:
4月が最も多く、次いで10月、5月、3月の順であった。
希望する曜日:「土曜日」と「日曜日」が圧倒的に多く、「曜日にこだわらない」は7.8%
六曜;過半数が「仏滅以外であればこだわらない」と回答している。
日取りの選定*「自分たちの都合」が圧倒的で次に「親戚の都合」、「知人・友人の都合」
であった。
【挙式場】:
「ホテル」48%が中心で、次いで「一般式場」17.4%、「国内の教会」9%、「海外の教会」
7.4%、「公共施設」7.2%、「神社仏閣」5.9%、「リゾート」2%、「レストラン」1.6%
【披露宴会場】:
「ホテル」63.2%、「一般式場」18%、「国内の教会」0%、「海外の教会」0.5%、「公共施設」7.9%、「神社仏閣」0.2%、「リゾート」1%、「レストラン」7.2%
【挙式・披露宴会場の決定者】:
新婦37.7%、新郎28.3%、新郎の親7.6%、新婦の親1.8%、その他(二人で&2人+両親)24.7%➝会場は9割が新郎新婦二人で決定している。
【挙式・披露宴費用の中で重視度の高い項目】:
「料理・飲み物」が中心で次いで「衣裳」「演出」
【披露宴の演出】:
自分たちで決める67.6%、次いで「挙式・披露宴のアドバイサー」23.5%、「友人・知人」4%、「親」2.7%、「雑誌等を参考」1.8%、「プロデュース会社」0.4%、
【挙式・披露宴会場評価】:
「良い」8割、「悪い」1.4%➝「悪い内容」=「衣裳や引き出物の持込料を取られる」41.7%
「他の会場と比べて料金が高い」37.8%、「料金設定が不明確」35.4%、「パック商品では制約が多い」31.5%、「会場が古い」27.6%、「会場が狭い」24.4%、
「希望する演出が出来ない」23.6%、「その他」6.3%
【パック商品の利用】:
「利用したい」81.3%、「利用したくない」18.7%、
利用したい理由:「割安である」62.8%、「面倒くさくない」29.1%、「融通が利く」7.7%、「その他」1%
利用したくない理由:「融通が利かない」55.8%、「サービスの質が劣る」26.9%、「割高である」9.6%、「その他」7.7%
【挙式披露宴の費用及び費用配分】:
平均披露宴列席人数=77人、披露宴の費用=265万7000円、総費用に占める披露宴費用
の割合=48.0%
【行ないたいブライダル関連行事】:
「披露宴二次会」59.5%、結納式26.8%、新郎新婦の世話をしてくれる友人たちを招いて行うパーティー24.6%、結婚記念パーティー19.6%、新婦の友人を中心に集まるパーティー8.4%、新郎の友人を中心に招いて行うパーティー7.4%、
婚約パーティー6.2%、その他1.4%
【希望する挙式・披露宴】:
「オリジナリティーのある自分たちらしい結婚式」、費用面では「シンプルで安く」、「お金のかからない結婚式」、「気楽な雰囲気のガーデンウェディング」「海外のホームパーティーの様な気軽で自由、アットホームな式」
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